はじめに
どうも、こんにちは。
AIのブームが到来し、だれもがAIを使いたい、そして使わざるを得ない時代がやってきています。
AIの波に乗ることで、けた外れに稼ぐことだってできる時代です。
もちろん、AIについて勉強すればするほど、AIに順応すればするほど、AIを理解すればするほど、その可能性は高まってきます。
そんな中、AI活用とは一見逆に見えるマインドセット、つまり「これはパラドックスだな」と思えるものを3つご紹介します。
これからAIに接近しようと考えている方は、時にはAIから離れた何かが重要。そんな気持ちで読んでいただければと思います。
Ⅰ. パラドックス1:AIをうまく使う人は、AI以外のITツールを使いこなす!
まず、本当にAIの使い方がうまい人は、いきなりAIの使い方だけうまくならない(傾向にある)ということです。
ここでいう「使い方が上手い」というのは、使用するスピードが速いであったりとか、プロンプトの文法を知っているであったりとか、そういうレベルのものではありません。
スタート地点Aから目的Bに向かうために、AIという手段をいかに上手く活用し、効果を最大化するか、という能力のことです。
例えば、本の使い方が上手い人というのは、どういう人かを考えてみます。
読んだことを覚えておく人。これは本の使い方としては「普通」ではないでしょうか。
次に、新しい発明をするという目的を持ち、本を読む人がいるとします。
自分が何を学ぶべきか考え、本を手に取り、読みながら自分が持っている疑問との答え合わせを行う。分からないところや興味が広がったところは、次の本や別の方法で調査する。時には初めの本に戻ってきて、知識を体系化する。自分が既に持っている知識とかけ合わせつつ、新しい発想を得ていく。
これは本の使い方としては「上手い」のではないのでしょうか?
こうした使い方の上手さが、AIにも存在します。
そして、AIの使い方が上手い人は、AI機能が搭載されていないITツール(ひと昔前の普通のシステム)の使い方が上手いということを言いたいです。
そうなる理由として、次の2点が考えられます。
・AIも外のITツール同様、道具であるということを理解している。
・創造性に長けていて、ITツールの使い方の上手さが、AIにも派生している。(もっというと、ITツール以外の道具の使い方もうまい。)
これは遡ると、道具の使い方、向き合い方そのものが、AIにおいても重要であるということができます。
Ⅱ. パラドックス2:AIブーム前から講じていたことこそ、AIブームに役立つ!
例えば10年間、ここまでAIが発展すると予想した人は、少なかったと思います。
あなたも、おそらくAIを活用する前提で、何か準備をすすめてきたわけではなかったということです。
しかしそこには何の問題もありません。むしろ好都合です。
もしあなたが10年前から目指していたもの、取り組んできたことがあったなら、それを「夢」と呼ぶことにします。
10年前から見てきた「夢」が、AIの時代が来た今、一気に花開こうとしているということです。
もちろん、「AIのブームが来たから、それを使って何をしようかな」と考えることも、一つの正解でしょう。こちらは、手段ありきの考え方です。
手段ありきなのか、目的ありきなのか、という議論は今後もきっと行われ、正解があるわけでもないと思います。
それでも言えることは、「夢」を持ち、ましてやそれに向かって取り組んできた人は、AI時代の今、非常に強い力を発揮するということです。
なぜそう言えるのか。
それは「夢」を分析して考えると、そこに「情熱」と「創造性」が伴っているからです。
まず「情熱」。これは人間だけに許された、前に進む力と言うこともできます。何かを成し遂げたい、誰かを幸せにしたいという「情熱」は、本当に人を幸せにします。結局のところ、人がついてきたり、お金を払ったりするのも、こうした「情熱」を持つ人なんですよね。AIの力で何かを見失うことなく、誰かのために真っすぐ進んでいく気持ちは、AIの力を上手に借りることができるはずです。
次に「創造性」。夢を持った人であれば、それをどのようにして実現するか、様々な方法を思い描いてきたことでしょう。思い描くうちに「創造性」は鍛えられ、あとは時間があれば、人手さえあれば、思いが形になるというところにまで達します。その最後のピースを埋めてくれるのがAIです。この創造性は、「AIを何とか活用してやろう」と手段から出発した場合、なかなか生まれません。
きっと今は、「夢」を持つ人に追い風が吹く時代です。
「夢」を持っている方、そして過去に「夢」を諦めた方。
「夢」の一部分でも、AIで具現化できるものがないか、探してみてはいかがでしょうか?
Ⅲ. パラドックス3:AIの一流は、AIの波に動じない!
僕の主観を多分に含んでいるのですが、こう思います。
AIの二流は、AIのブームによって、人生が大きく変わると考えている。AIブームが全てを好転させると考えている。
AIの一流は、AIのブームを、人生における一つのイベント(程度)のように捉えている。
何も、一流はAIに興味すら持たないんだ!と言いたいのではありません。
どちらかというと、AIという強い影響力を受けても、自分を見失わないことができるというのが近いと思います。
なぜAIの一流がそうあることができるかという理由ですが、次のような感じでしょうか。
・その人に、一流相応の能力や器がある。物事を深く洞察し、AIが生活のどこに位置づくのがベストなのかを的確にとらえることができる。
・人生と深く向き合っている。その結果、AIを使いながら、自分や他人の人生をどう豊かにするかを考えるゆとりがある。
・だからAIという強い波が来ても、飲まれず、むしろAIを御することができる。
この分析は、AIの一流が、人としての一流に近いからこそ生まれるのかもしれません。
ただ、人として一流たりえるかは、その人が積み上げてきたもの、大切にしているもの、その人の習慣などが影響していると思います。
そこにAIが介入しにくい点も、面白いですよね。
おわりに
今回は3点に絞ったのですが、もう少し話を広げると、AIとは関係ない場面でAIの活用能力が決まるといっても、過言ではありません。結局は「総合力」なんだなと思います。
僕は、人としても、AI活用能力の点でも、まだまだ二流です。
AIもどんどん使いながら、皆さんにコンテンツをお届けできればと思います。
ただそれは、皆さんの心に何かを届るための手段でありたいと思っています。
そのため、現時点ではいたずらにAIを使い、記事の数だけ増やす予定はありません。
AIで記事を大量生産するのは、それが本当に僕と読者の方お互いのためと思えたとき、それが説明できるようになったときでしょう。
それでは、次の記事でお会いしましょう。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!