§1 AIは責任を取ってくれない
僕の業界ではよく言われることです。
AIは利便性を提供してくれますが、責任をとってくれません。
AIがしたことを含め、責任を取るのは人間。
そこにお給料が発生するし、責任の重い仕事はAIに取って代わられにくいんですよね。
だから人間は、責任のとれるAIの使い方を模索していくべきでしょう。
何も、完全にAIを統御する必要はないと思います。
ただ、自分が責任をとれるのはどの範囲までかということは、探しておく必要がありそうです。
なにせ、「あなたのビジネスでAIが暴走した、どうにかしてほしい」と言われるのは、人間です。
AIと共に渡り合い、最後は人間が責任をとるというのが、withAIのあり方でしょう。
こう考えていくと、自己責任でAIを使いこなす力と、人としての器の大きさが、かなり近いところにあると思います。
それはどういうことなのか?詳しくは、§2・§3でお話します。
§2 「経営」っぽい責任の取り方
仕事において「責任を取らされる」と聞いたとき、あなたはどのような行動を連想するでしょうか?
・ミスをしないようにする。
・できないことはやらない。
今挙げたのは、自分で自分のコントロールをする、自分の責任を自分で取るという考え方です。(おそらく若手に多く見られるのではないでしょうか。)
責任をとる対象を、自分や自分の近いところにあると考えるという点で、ここでは「近い責任」と表現してみます。
一方、「責任を取る」という点で、おそらくベテランは次のような行動をされていると考えられます。
・明らかに任せられない仕事を、部下に任せない。
・報連相を始めとした、部下とのコミュニケーションを大切にする。
・部下にミスがあったとき、自分自身や、仕組みの改善点を考える。
こちらは、自分以外の者(他人)に対して責任を負っており、「遠い責任」と表現することができそうです。
そもそも、他人を完全にコントロールすることなんてできません。
他人がいつ暴走し始めるかなんて、分かりません。
それでも「遠い責任」という不思議な仕組みによって、組織は成り立っています。
これって、「経営」の考え方に似ていませんか?
そして、他人の責任をなぜか自分が負うという論理破綻ぎりぎりの社会で、なぜ「遠い責任」を果たすことができるのか。
それは、「把握」をしているからです。
「手綱さばき」が上手いからです。
「ふわっとまとめる力」があるからです。
その人の器があるからです。
人間としての深みがあるからです。
不思議な魅力があるからです。
一言では言えなかったのですが、「遠い責任」を果たす力は確かに存在しそうです。
・・・さて、やっとここで話を戻します。
AIによって、たしかに人間の脳は拡張され、「いくらでも」便利なことをこなせるようになりました。
ただし本当にどこまでも進むのではなく、その限界は「責任」を取れる範囲までだということが、今回の主張の一つです。(そこを見極められないと、AIの暴走を引き金とした「天罰」が待っているということも。)
ではAIを活用するとき、その「責任を取る」とはどういうことなのでしょうか?
何をし始めるか分からないAIをなるべく使わず、リスクを排除すること?
AIのとる全ての行動を監視し続けること?
間違いではないですが、このような「近い責任」のままではいずれ成長は止まります。(人も組織も)
…そう、自分の手を少し離れるAIに対して「遠い責任」を負うことが、今AIを使う上での有り方なのだと思います。
AIが、完全に自分のコントロール下にあるわけではない。
それでもAIを「信頼」し、この作業を任せるという感覚です。
それは、「把握」であり、「手綱さばき」であり、「ふわっとまとめる力」であると言うことができます。
ただしその「信頼」は、「妄信」とは違います。AIを正しく「信頼」できる人は、確かな知識や経験によって編み上げられているものがあります。たとえ言語化できない感覚であっても、そこには無謀さがありません。
だからAIに対して「遠い責任」を負える人は、AIを自分の拡張として扱い、AIの力を最大化することができるのだと言えるのです。
§3 代表格としての「任せる力」
さて、ここまで、「遠い責任」を負う力が大切なんだよ。そしてその力というのはよく分からないけど、その人の器であり、深みであり、不思議な魅力なんだよというお話をしてきました。
このあたりがはっきりしないのも後味が良くないので、一言で言い表してみようと思います。
ーそれは、「任せる力」でしょう。
..「任せる力」って何か。
§2で、僕達は他人の責任を自分が負うという、意味不明な世の中に生きているというお話をしました。
普通に考えれば自分が一番信用できるのですから、何かを他人にわざわざ任せたり托したりしません。
それでも他人に任せるという、理屈を超えた力であるということが言いたいです。
なぜ、他人に任せる力が、人間の器・深み・魅力の代表として選ばれたのか。それは、
・その仕事に任せられるか、判断する力があるからです。
・つまりそれは、相手のことや、業界のことを貪欲に知った上で、スタートとゴールの距離感を計算することができるということです。
・自分がリスクを負っても、組織や相手の成長を後押しする”Give”の精神を持っているということでもあります。
・相手が失敗したときにも、執拗に責めず、次につながる行動を取る。とにかく失敗への対処が上手いです。
そう、「任せる力」というのは、人としての強さそのものということもできそうです。
そしてこれまでの筋立てからいくと、おそらくこの「任せる力」がある人はAIの扱いも上手いです。
本当にAIのことを知ろうとし、AIに任せられる範囲を適切に測り、失敗をも糧としながら成長していくのですから。
ぜひとも人としても、AIを扱う者としても上手に「責任」が負えるようになりたいですね。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!!